毎月19日は七面大明神様の御縁日。法華寺では午前11時より『読誦会(どくじゅえ)』お経を読んで御回向&御祈願します。18時半から『法華経講義』法華経の内容について研鑽します。法華寺の七面大明神様。以前は御厨子の御簾を下して、年に一度の御開帳だったのですが…。先代と私「年中真っ暗な御厨子の中にいらっしゃるんじゃ息が詰まるだろうし(^^;)せっかくお参りに来られた方に9月19日の御縁日まで待って下さいね!では申し訳ない」と言うことで御簾をOPEN(*´▽`*)
≪それでいいのか!?本当は感応があって開けることにしました(^^)/≫宝塔偈の太鼓の叩き方の指南書♪皆さんが気持ちよく叩けるように工夫してみました!さてさて18時半。講義に参加される方がお集まりになり、お経を読みます。今回はお自我偈の訓読。細かい読み癖までシッカリ確認。読経力は皆さんお坊さん並みです(^^)/続いては御題目をお唱えする唱題行!心を込めて感謝の気持ちでお唱えします。宝塔偈の太鼓もバッチリです(^^)/♪七面様や諸天善神様に日々の感謝と真心をお伝えしたら、広間に移り講義の開始♪今回は如来壽量品第十六(第6回目)。法華七喩の最後の喩『良医治子の喩』です。
昔、ある所に優れた医者である父と、その子供達。ある日、父が用事で遠い国に出掛けている間に子供達は誤って毒薬を飲んでしまいました。子供達は悶え苦しみ、毒が深く入り本心を失う者まで居りました。そこへ父である良医が帰ってくるのです。急いで薬を調合して『此の良薬は色も香りも味わいも好い。速やかに苦しみを除くだろう』と子供達に与えたのでした。毒が浅い子供は薬を服しすぐに良くなりましたが、問題は毒が深く入り込み本心を失なってしまっている子供達です。「この良薬ですら毒薬」と疑って飲もうとしません。何とか父である良医は子供達に薬を飲ませようと次のことを告げるのでした。『私は年老いて、いつ命尽きるとも知れない。お前たち今ここに良薬を留め置く、自分の手で取って飲むのだ。決して疑ってはならない』、そう言うと父である良医は出掛けてしまいました。しばらくすると父の使いが現れ『お父様がお亡くなりになられました』と告げたのです。驚いた子供達「いつも優しく見守ってくれる父を亡くし頼る人を無くしてしまった」その孤独感と悲しみのあまり本心を失った子供達も、ようやく目を覚まし我に返ったのです。そして父が留め置いてくれた良薬を自らの手で取って飲み、苦しみから救われたのでした。子供達が助かったことを聞いた父は、なんと子供達の前に現れます。少し荒療法かも知れませんが、無理やり良薬を飲ませたのでは拒否反応を示し吐き出してしまうことでしょう。
ここで説かれたことを要約すると。医者…久遠実成のお釈迦様。子供達…私達を含むお釈迦様の弟子たち。毒薬…「三毒(貪り・瞋り・痴か)」+「五欲(財欲・名誉欲など)」。良薬…南無妙法蓮華経のお題目。
自分の手で薬を取らせようとしたのは「誰かにやらされる」のではなく「自らの信仰で体に服し御題目を唱えること」の例え。お釈迦様は人々を苦しみから救おうと願い法華経をお説きになられました。しかしお釈迦様がいつまでもこの世に居れば人々の心に甘えが生じ、正しい教えが守られなくなると察し、入滅と言う選択・方便を用いたのです。
『良医治子の喩』を説いたお釈迦様は子供達を救おうとした良医である「父」は虚妄(嘘偽り)の罪になるだろうか?とお弟子さん達に問われるのです。お釈迦様もまた、子供達を救う父と同じで人々を仏道に導く為に永遠の寿命を持ちながら、この世を去るという選択をされました。このことを虚妄罪と咎めてはならないと。
一切衆生が一心にお釈迦様に会いたいと願い身命を惜しまず信仰するならば、お釈迦様はいつでも姿を現し法を説くと仰います。『毎に自らこの念をなす何を以てか衆生をして無上道に入り速やかに仏身を成就することを得せしめんと。』…私はいつもどの様にして人々を、この上ない悟りの世界へ導き速やかに仏と成らせることが出来るかと考えている。このことこそがお釈迦様の本当の願いであり法華経を説いた目的なのだと。『毎自の悲願』つづく。お釈迦様の心境を察することが出来るようになりました。ここまで来るのに丸10年(^^;)頑張って残りの法華経を研鑽しましょう(#^.^#)