ご案内

法華寺のご案内

概要
山 号
松見山(しょうけんざん)
所在地
〒957-0053 新潟県新発田市中央町1-4-10
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住職名
第26世 本田 義昌
電 話
0254-22-2981
旧本寺名
京都妙顕寺(直末)
旧寺格
緋、中、末寺2(顕法寺・妙栄寺)
本尊勧請様式
一塔両尊四士
祖 像
説法像
沿 革
慶長3年(1598)3月の創立。
開山

法華寺を開山したのは慈照院日覚上人(じしょういんにちかく)。
奠師法縁(でんしほうえん)。開基大檀越坂井式部秀政(だいだんのつ・さかいしきぶひでまさ)。

慈照院日覚は丹波領主大雲寺殿前土佐守の子息で、のちの織田信長の家臣・坂井式部秀政の猶子(ゆうし・甥)となり、京都大本山妙顕寺11世日教に従って学び、出家得度した。 慈照院日覚は加賀の妙海寺に住職していたが、坂井式部秀政が後の初代新発田藩主、溝口秀勝の家臣となり、石川県の加賀大聖寺より新発田の地に移る由、これに随従し、初代新発田藩主、溝口秀勝・坂井式部秀政ならびに新発田藩の安泰を祈る事になった。 溝口秀勝は新発田城を建立。その城より眺める所に小高い松のそびえる山があり、この地に「一宇を建立せよ」との仰せに従い寺を建立し、お城から「松の見える山」として松見山法華寺(しょうけんざん・ほっけじ)と号した。 当時は藩主ならびに新発田藩の隆昌を左右する為の祈願寺として名も高く、境内は15,000坪あったと言われ、隣接する瑞雲寺・真称寺・蓮昌寺の4カ寺は当山の地を分譲したものとされる。 寛永7年に藩主溝口宣直より1町2反余りの寄進があり寺運も隆昌し、学問所や弟子教育のなどに栄えたが、文政11年(1828)4月に祝融の災(しゅくゆうわざわい・中国神話の火の神)にかかり全山焼失。 新発田藩の御祈祷寺である当山が焼失し、取り急ぎ同年8月に庫裡、嘉永7年(1853)4月に仮本堂を再建。再び新発田藩の行く末と安穏を祈る。

それより160余年の月日が経ち本堂・庫裡が朽ち改修、平成4年(1992)10月に当山25世日道により本堂・書院・庫裡を新築。平成20(2008)10月、山門新築し、中に邪悪を除く金剛力士を安置、仁王門とし檀信徒の隆昌ならびに寺門興隆を祈る。

歴代住職
1 世 慈照院日覚 寛永12年9月28日(1635)
2 世 本行院日實 万治3年6月21日(1660)
3 世 覺仙院日優 寛文1年1月8日(1661)
4 世 本覺院日超 万治3年7月19日(1660)
5 世 恵眼院日意 寛文12年9月1日(1672)
6 世 円智院日逞 元禄6年5月10日(1693)
7 世 光徳院日迢 享保5年6月16日(1720)
8 世 長壽院日順 宝永1年 4月3日(1704)
9 世 本要院日能 享保12年10月7日(1727)
10世 見義院日暁 寛延3年1月9日(1750)
11世 行成院日饒 寛政3年5月22日(1791)
12世 唯解院日春 安永3年6月1日(1774)
13世 唯義院日道 文化8年1月13日(1811)
14世 妙本院日照 文政1年1月26日(1818)
15世 妙壽院日孝 天保8年7月29日(1837)
16世 妙解院日澄 安政3年11月13日(1856)
17世 妙慈院日運 嘉永5年10月21日(1852)
18世 襌那院日觀 嘉永6年2月22日(1853)
19世 龍祥院日木 明治5年1月11日(1872)56歳 中興開山
20世 境受院日侃 明治13年7月18日(1880)
21世 本地院日随 明治28年10月27日(1895)
22世 妙泰院日真 大正6年7月19日(1917)47歳
准歴 龍性院日身 大正5年12月4日(1916)
23世 看雲院日任 昭和4年11月8日(1929)55歳
24世 寳樹院日法 昭和52年10月11日(1977)69歳
25世 正真院日道 本田義元
26世 慈眼院日正 本田義昌

墓地分譲について

墓地分譲

法華寺では、墓地のご案内をしております。
お墓の購入など不明な点は、お気軽に相談ください。

自宅にご家族の御遺骨がございませんか。ずっと傍において一緒にいたい気持ちは分かりますが、静かにお墓に委ねることも大切です。身近に相談できる人がいない方、又お墓の購入も考えているがどうしたらよいか分からない場合も気軽にご相談ください。親身になって皆さまのご相談をお受け致します。

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