法華寺の寺宝

寺宝

・土佐守(とさのかみ)画像
 初代新発田藩主、溝口伯耆守秀勝公(みぞぐちほうきのかみ
 ひでかつこう)画像(准宗宝)
・宗祖日蓮大聖人御真骨5片
・同宝塔
・宗祖日蓮大聖人御真筆大曼荼羅
・法華経8巻写経(万里小路宰相写(までのこうじのぶふさ))
・鳳足碩(ほうそくすずり)1枚
・秀頼公書幅(ひでよりこうしょふく)等
・中山63世日莚曼荼羅
・日豊一遍首題
・身延91世日光曼荼羅
・釈尊涅槃画像

七面大明神(しちめんだいみょうじん)

七面大明神 当山には古来より「ボケ封じ」ご祈祷の世界では「虫封(むしふうじ)」と申しますが、その「封じる力」に優れると言われる七面大明神をお祭り致しております。この七面大明神は法華経(ほけきょう)の守護神(しゅごじん)として、人々が法華経・お題目、南無妙法蓮華経を唱え・保ち・行う者があれば、必ず「心の安らぎと満足をあたえるでしょう」と日蓮大聖人ご在世の時にご誓願なられた法華経の守護神です。また日蓮大聖人がお亡くなりになられた後、元亀(げんき)3年(1572)には身延山(みのぶさん)(日蓮宗の総本山、身延山久遠寺(くおんじ))が武田信玄により攻めいられた時にも法華経の守護神として七面大明神が霊験(れいけん)あらたかにこれを防ぎ、信玄の攻めを「封じた」と伝え残されています。このように七面大明神は法華経を信じ南無妙法蓮華経を唱える人を助け・守護し、また悪縁(あくえん)をも封じるというお力をかね揃えているのです。
 これを機会に「法華経を保つ者」として自覚し、私達も初心に帰り、まずはお寺にお参りする。お寺の仏様やご先祖さんに挨拶をすると言う意味合いでお題目の修行をしてみませんか?それが、そのまま私達自身が法華経を、お題目を保つ「法華経の行者(ぎょうじゃ)」になるということなのです。

 *19日午前10時より『ボケ封じ』のご祈祷を開催しております。また19日の18時半より『法華経講義』(我々人間にお釈迦さまが伝えたい、教えたかった事をお経に沿って勉強する)を開催しております。併せまして御参拝くださいます様ご案内申し上げます。

鬼子母神(きしもじん)

鬼子母神 鬼子母神は元々インドの神様で、500人とも1000人とも言われるくらい、多くの子供を持っておられました。また夫である「般闍迦(はんじゃか)」の妻として、子持の神様としても有名です。
 その昔、鬼子母はインドで別名「訶梨帝母(かりていも)」とも呼ばれ、王舎城(おうしゃじょう)の夜叉神(やしゃじん)の可愛い娘として生を受けました。
これからの話は、まだ鬼子母が「神」と言われる前のお話です。

年を重ねるごとに益々美しい女性へと成長していった鬼子母は、年頃になり夫である般闍迦のもとに嫁いで、500人もの子供に恵まれました。 そんな鬼子母は『過去世の因縁』で、王舎城の人間達に恨みを抱いており、その遺恨が勃発し人間の幼児をさらって来ては、自らの食料としたのです。 とうぜん人間達から恐れ憎まれるようになりました。 悩み苦しんだ人間達はお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は鬼子母に自分の過ちに気付かせ「心を救おうと考えた」のです。そして鬼子母が一番可愛がっていた末の子である「賓伽羅(びんがら)」を隠したのです。 その時の鬼子母の嘆き悲しみ様は限りなかったようです。その様子を見守っておられたお釈迦様は鬼子母に、おまえは沢山の子供がいるのに、ただ1人の子を失って憂悲苦悩しているではないか。世間の人々は一人・ないし3子・5子であるのに、その自分の眼に入れても痛くない大切な子供を「さらい」苦しめているではないか…。と
“千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん”と戒められました。 戒めを受けた鬼子母は、「これは本当にすまなかった、悪かった。私が自分の子供達を可愛がるように、人間のお父さんお母さん達も、自分の子供は可愛いものなのに…。私は何という、とんでもない事をしたのだろう」と心から反省と後悔をし、改心したのであります。 また初めて人間達の苦悩の深さを悟ることができたのです。 それからというもの鬼子母は、今までさらってしまった人間の子供や親に懺悔し続け、さらには人間の子供が病気や怪我をせず、健やかに育つよう自分の子供と同じ様に可愛がれるようになり、時が経つにつれ人々からは「小児の神」として、尊崇されるようになり鬼子母から『鬼子母神』と崇められるようになりました。

また『過去世の因縁』とは、鬼子母がこの世に生まれる前のこと、いわゆる「前世のお話」です。 鬼子母は王舎城という町の近くの村娘として生を受け、やはり才色兼備、それはそれは美しい村娘として有名でした。本人は「踊りの先生」であり、当時の娯楽と言えば歌や踊りなどが一般的で、のどかな風景が目に浮かびます。年頃になった村娘は、村一番の美男子で誠実な村男(次の世でも夫になる・「般闍迦はんじゃか」)の元へお嫁に行ったのです。誰もが羨むお似合いの美男美女。時が経ち村娘である鬼子母は妊娠し、お腹に子を宿す母の喜びを得て、人間の幸せを噛みしめておりました。安定期に入り王舎城にて恒例のお祭りを見に行く事になったのです。王舎城の町は活気にみち溢れ、中心の舞台には村人たちで歌や舞い・踊りをたしなんでおりました。村人は楽しそうに踊りたわむれていると、1人の村人が声をかけてきたのです。「あなたも一緒に踊ったら?」と。とうぜん村娘であった前世の鬼子母は『私のお腹には子が宿っておりますから』と断りました。しかし村人はその美しい風貌から「踊りを教えていた先生に間違いない」と、廻りの村人が「今宵は踊りの先生がおいでくださっている。大いに盛り上がろう」鬼子母のことを知らない村人はおりませんでした。最初の内は身重の体を心配し、鬼子母自身も村人も身重の体に負担のかからない踊りや手拍子をしておりましたが…。その美しい顔立ちや意気揚々とした踊りに、見る物を魅了する立ち振る舞い…。いつの間にか村人は鬼子母の美しい踊り様にほんろうされ、自らの踊りを止め鬼子母一人の踊りを見物にテンポの速い手拍子を…。「ほれやれ・されやれ・サッサッサ♪よいしょよいしょ♪サッサッサ♪」段々と途中で踊りを止められない状況が出来あがって行くのでありました。

その瞬間『グツッゥ』・・・
鬼子母は激しいお腹の激痛に襲われ出血し、大事なお腹の子を失ったのです。その悲しみは鬼子母には耐えられない苦しみです。 先ほどまで拍手喝采していた村人は罪の意識からか、手のひらを返し… 「身重のくせに踊りなんぞしおって愚か者め」 「母親の自覚が足りなすぎるんだよ」 「自分が、かつて踊りの先生だった事を、まだ鼻にかけているのだね」 「あの娘は自分のお腹の子を殺した人殺しだよ」 などと卑下したのでした。 さっきまでは「歌えや・踊れや」と手拍子をして祭りを盛り上げていた村人が恐変した姿と、身重の自分を承知していたつもりが、理解していなかった村娘の鬼子母…。 自責の念に駆られ、子を失った母の思いと、その原因が自分にあったこと。 悩みに悩んだ末、病の床に倒れたのでした。 村人たちも胸を痛めながらも建前上は「自分は悪くない」と、鬼子母の夫である村男を責め立て「お前の嫁は身重のくせに踊りなんぞ」と責め立てたというのです。 「今の世も、昔の世も…。見たくない人間の心の闇が、かいま見える様です。」 そして鬼子母は自責の念に駆られながら、また身重の鬼子母と知りながら手のひらを返した村人を恨みながら前世を終えたのでした。

時が経ち、鬼子母は今世に生れ、前世からの夫である般闍迦の妻として子を宿し沢山の子供を授かりました。だがしかし心の嬉しさと共に何かが引っ掛かるのでした。 そんなある日、王舎城のお祭りで「あの踊りを見た瞬間」…。前世からの因縁が蘇り、時空を超えて「怒りと恨み」が蘇ったのです。そして子供をさらわれた親もまた、前世に於いて村娘であった鬼子母に拍手喝采、踊らせたまでは良かったが流産した後にも自分の保身の為に、鬼子母や夫の村男を卑下しつづけた村人達本人だったのです。

現世の鬼子母も子供をさらわれた親も「この事を」知る由もありません。 お釈迦様は鬼子母を諭すと共に子をさらわれた親にも過去の因縁を説き、鬼子母と共に反省を促し、鬼子母と人間の親、村人と共々に懺悔滅罪を説かれたのでした。

このように現代の私達も、目の前の物事には何らかの因果関係がある事を忘れてはなりません。今ある私たちの姿を素直に受け入れ「そこから」努力をして励まなければなりません。

もともと子供達のことが好きだったから、子供達の心がよく分かる鬼子母神様は不思議な術を使って、子供達の心からの願い事をよく叶えられるようになりました。鬼子母神様は、初めは「自分の事だけしか考えていなかった(傲慢な心)」のですが、お釈迦様に諭されて「自分に過ちに気付かれ」ました。それからは、人の役に立たねばならぬ(無償の愛情)と、心をあらためられた神様ですから、私達がどれだけお願いしても、その心に「自分さえ良ければ人はどうなっても良い」というような自分勝手な者の願い事は聞いてもらえません。つまり、祈りの動機が大事なのです。無償の愛情(仏様の心)からなる願い事、つまり「独りよがりの願い事」ではなく、むしろ「自分よりも人の為になろう」という人間で一番気高い心から出る祈りは、鬼子母神様がもつ「願う心」と同じですから、何かの岐路に差し掛かった時などは鬼子母神様は喜んで、正しい方向へと導いて下さる事でしょう。私達は、大人も子供もみんな仏様の心に照準を合わせて、まずは自分から努力し、困っている人を助ける事を願い「社会の役に立つ人間」になる様に鬼子母神様への祈りを通して導いて頂きましょう。

大黒天(だいこくてん)

大黒天 大黒さまは古くから日本の「七福神」の一人として親しまれ皆様ご存知の通り福を呼ぶ神様として広く知られております。良縁成就、家庭円満、子宝成就、商売繁盛など有名です。
 その昔、大黒様はインドより来られた神様で「大黒」「大古久」「大去垢」などと呼ばれ、貿易の神、食堂の神、福徳の神としても崇められ、お寺の本堂や庫裡の柱(大黒柱)、食堂、倉庫、門前、檀信徒の仏壇、台所の棚、柱に祠られてきました。その姿は福徳圓満の微笑みを浮かべ、頭には頭巾、左手には袋、右手には小槌を持ち、米俵の上に立っています。枡は宇宙界を表し、小槌、袋、俵は福禄壽の宝を表しています。
 日蓮大聖人も富木日常上人に大黒様を供養することを勧められ『日々を安穏に過ごしおられるか、この大黒様を信仰すれば、所願円満成就し、現世安穏、後生善処の楽を得るであろう』 (―真間釈迦佛御供養逐状―)と教えられ、以後日蓮宗の守護神として祠られました。  また日蓮宗の大荒行でも祈祷相伝として重要な相伝部門となっており修法師の一大関門として重視されてます。大黒様は私達の希望をかなえて下さる小槌を持ち、この小槌で物をたたくと「こつこつ」音がします。つまりこつこつとたゆまづ励む事が幸福への近道であると教えられています。大黒さまとは私達の精神そのものの相なのです。
 努力する事が愚かであるかのように考えられる今の世の中であればあるほど、大黒様の精進は尊く光り輝き私達の「心の糧」になる筈でしょう。

 檀信徒の皆様方には是非この機会に大黒さまの勧請をおすすめし、お願い致したく御案内申し上げます。
『一升枡大黒尊天』 一金十万円也
『五合枡大黒尊天』 一金五万円也
それぞれの枡には願主の御芳名、願目(願いごと)を書き込み、皆様の手元にお渡し致します。一体・一体に手書きでお経文を誦し、魂入れ(開眼法要)を致しますので、お申込み頂いた「当日に」お渡しする事はできません。
また檀信徒皆様の勧請の折には当山の「年間行事」や「祈願祭」にて各家の大黒尊天をお寺にお持ちいただき御加持、お経、お題目の功徳(ありがたい力)を皆さんと共に吹き込みます。
皆さんの力で共に努力精進を惜しまずこつこつと福を呼びましょう。

大黒尊天

●一升枡 大黒尊天
  一金十万円也
●五合枡 大黒尊天
  一金五万円也

申込書

堀部安兵衛の実母(るい)墓石

堀部安兵衛の実母(るい)墓石浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)に忠義を尽くし吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に仇討をした赤穂浪士。代表的な堀部安兵衛武庸(ほりべやすべえたけつね)。その旧姓を「中山安兵衛武庸」と言いました。安兵衛は新発田藩の武士として生まれ、若くして江戸へ渡り、「文武両道」剣にも学にも研鑽した求道者です。高田馬場の決闘といい吉良邸への討ち入りといい、もっとも武士らしい武士として、その34年の生涯を華々しく終える事となりました。いさぎよさと不屈の精神は当時から今日に至るまで約300年の間も、時代を超え人々の心に語り続けられています。

 安兵衛は25歳の時、その若き年齢とあいまった勇ましい姿を『堀部弥兵衛(ほりべやべえ・後の義理の父)』の眼にとまり「当節にまれにみる義拳にあっぱれな武士よ」と思い、又この様な事も考えていました。「安兵衛殿とやら申す若武者、この様な者こそ我が家の婿に欲しいものじゃ」と…。居ても立ってもいられなくなった弥兵衛は『中根長太夫(なかねちょうだゆう)』の案内のもと安兵衛に会いに行きました。そして「貴殿、拙者の養子になってもらえぬか?」と。安兵衛はこう答えました『拙者、ただいま浪々の身なれど、中山家の嫡男(ちゃくなん)なれば他家の養子になるなど思い呼ばぬことでござる。いずれの日にか、わが故郷・新発田へもどり中山家の再興いたしたき存念あらば、その儀ばかりは御容赦願いとうござる。』その日より弥兵衛は願いから懇願とかわったのです。「中山の姓をなくする事が出来ない、と言うのはもっともでござる。ならば我が堀部の姓を廃絶しても苦しくはござらぬによって、何とか当家の養子になっては下されぬか中山氏?」と言ったのです。武士にとって姓を「捨てても良い」などという事は絶対になく、よほどの決意と覚悟がなければ言い出せぬ事…。弥兵衛の懇願に心をうたれた安兵衛はついに養子になる事を決意しました。弥兵衛の喜びようは一通りではなかった事でしょう。さっそく赤穂藩主、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に相続の願いを出しました。「越後の国、新発田藩浪人・中山安兵衛なる者に、中山姓のまま家督(かとく)を相続させたく、この度の段お聞き届け下さるようお願い奉り上げます」

 いっぽう浅野内匠頭は『その願い相許す。安兵衛とやらは真の武士と聞く。当藩の礎(いしずえ)ともなろう義父に劣らぬ忠勤つくされい』とのお言葉がありました。御殿までもが、そのようにして自分を大切に思ってくれている事に安兵衛は感動し涙をこらえる事ができません。安兵衛は弥兵衛に申し出ました。『御義父殿のお心さえ、もったいなき事と存じておりますのに、御殿におかれては、格別なおぼしめしにおわすとは。この安兵衛、命のかえても忠勤をはげむ存念にございます。かくなる上は中山姓にこだわっていては武士としての誇りが許しませぬ。なにとぞ堀部姓にて相続かないますようお願い申し上げます』と

 晴れて「中山」から「堀部」となった安兵衛は浅野内匠頭への忠義と御義は相当なものと考えられます。以上が概略ですが、そうとう頭の切れる堀部安兵衛は「吉良邸への討ち入り」ののち残された家族、親戚筋がこの「討ち入り」で罪人扱いされる事を悔やみ、家系図一切を処分してから吉良邸への討ち入りに出陣しました。ですのでこれ以降の堀部安兵衛の血筋や記録が期されている資料はほとんど残っていないとの事です。

 当山には安兵衛の産みの母である俗名「るい」の墓があります。戒名『寶樹院妙嚴信女』(寛文10年(庚戌かのえいぬ)5月12日命日)の御墓です。これは残されている数の少ない文献を新潟大学名誉教授の冨沢信明先生の研究結果と法華寺の過去帳と照合した結果、堀部安兵衛の父『中山彌次右エ門(なかやまやじうえもん)』が自身の「妻」として法華寺に埋葬し、冨沢先生の研究資料と照らし合わせた結果、安兵衛の母は産後まもなくで亡くなったとの記載に合致するべく、法華寺に堀部安兵衛の母「るい」が埋葬された事が歴史的にも証明され、間違いないと判断されました。当時は当山裏庭にあった竹林の側に「るい」の御墓がありましたが当山の改修工事や寺の復興の為に墓標を現在の地に移し、堀部安兵衛武庸を顕正する「武庸会」が平成25年で100周年を迎えるに当り、研鑽事業として安兵衛の母「るい」も堀部安兵衛の母としてこれからさき世の中に、何十年・何百年と継承され法華寺の宝から新発田市の宝、ひいては国の重要な文化財になれるよう企画・実行、維持管理・継承されるべく努力しております。毎年5月12日には武庸会主催の元、セレモニーを開催する運びです。興味をお持ちの方、皆様沢山の御参りをお持ちしております。 忘れ去られる歴史を今また現在・未来へと繋いでいきましょう。

法界萬霊

法界萬霊とは、この「世の中の全ての諸々霊」をお祭りすると言う意味です。いわゆる世の中と縁が薄れ「無縁仏(むえんぼとけ)」や「無縁さま」と言われる方々です。何だか「無縁さま」と言うと言葉が悪いと言うか、残念で悲しいような気持ちになりますが、だからこそ『今ここから!!』私達は考えを改めなければならないと思うのです!

・ではどうして無縁様になられてしまうのか?
・私達には本当に関係ない事なのでしょうか?

まずは手始めに我々の御先祖様の事を例にとって考えて参りましょう。皆さんには必ず、お父さんお母さん、お爺さんお婆さん、孫爺ちゃん孫婆ちゃん…。がいらっしゃいます。ですが、だいたいそこまで位しか御先祖様と言われると…。思い浮かべる事が出来ないものですし、写真なども見た事のない方が多いようなのです。では私が生れる為に一代さかのぼると…父母の二人の親がいて、亡くなられてしまえば二人の御先祖様となられるのです。

二代さかのぼると…父母 父方の父母 母方の父母…6人御先祖様。
三代さかのぼると…父母 父方の父母 母方の父母…14人御先祖様。
四代さかのぼると…16人の親に、30人の御先祖様が居る筈です。

単純計算で10代さかのぼれば1024人の親がいて、20代、30代さかのぼると何十万と言う御先祖様が私達にはいらっしゃる事に気づくことでしょう。

自分の御先祖様と認識している御先祖様達には「自分たちなりの御供養」や「施し」が出来ると思いますが、残念ながら「思いつきもしない」疎遠になってしまった御先祖様達を俗に言う「無縁仏(むえんぼとけ)」になってしまうのです。

その無縁になってしまわれた御先祖様や、他の諸霊を何とかして差し上げよう…
無縁仏さまや残念ながら家族と疎遠になったり、墓守りが居なくなられた方々の御墓や御遺骨を「法界萬霊」としてお祭りする場所に集まってもらい、御供養するのです。

私達は自分の御先祖様に御供養は勿論の事、このシガナイ世の中で御縁が無くなり「誰にもお参り」してもらえなくなってしまった諸霊に、いま生きている我々が皆でお参りして、その気持ち「絆」を届けようではありませんか!
これが無縁さまや法界萬霊の御供養につながると思います。

まずは私達から今一度、御先祖様を大切にして、そしてお父さんお母さん、お爺さんお婆さん、そして息子さん娘さん…。みんなが皆をお互いに「敬う気持ち」を大切に、手を取り合って明るい未来に繋げたいものです。亡くなられた仏様側に立ってみて考えてみれば「おはよう」とか「いつもありがとうございます」とか「おかげさまで」などなど…。声を掛けられて嬉しくない人などいらっしゃるのでしょうか?生きている私達も、亡くなられて姿が見えぬ仏様も、私達と「一緒の筈」です。怒らせるような事をすれば、当然、怒るでしょうし、喜びを伝えれば、喜びを分かち合える存在なのです。まるで私達をを写す鏡のような有り難い存在ですね。殺伐とした昨今だからこそ「相手の為に、まずは自分が施す」という姿勢から始めましょう。

境内の寺宝

窪田平兵衛武文(節斎)の墓
窪田平兵衛武文(節斎)の墓

丹羽伯弘の墓
丹羽伯弘の墓

新潟県立新発田高等学校 建学之碑
新潟県立新発田高等学校 建学之碑

本堂の寺宝


新発田藩 初代藩主

御宝前
御宝前

法蓮華経一部八巻
法蓮華経一部八巻

稲荷大明神
稲荷大明神

三十番神
三十番神

開山仏
開山仏

松浜法花堂より当山へ
松浜法花堂より当山へ

位牌堂日蓮聖人夏のお姿
位牌堂日蓮聖人夏のお姿

位牌堂日蓮聖人綿帽子
位牌堂日蓮聖人綿帽子

ページトップへ