毎月19日は当山に勧請される七面大明神さまの御祭禮(#^人^#)午前11時からは「報恩読誦会」18時半から「法華経講義」
皆さん揃ったら、まずは本堂で読経と唱題のご挨拶。今回は「薬王菩薩本事品第二十三」の第3回目。
まずはポイントと「まとめ」をノートに書き写して( ..)φご参加の皆さん大変お疲れさまでした♪法華経って本当に有難い教えですね(#^^#)
※来月は忘年会で講義はお休みです!皆で一緒に楽しみましょう(^^)/
薬王菩薩本事品第二十三
これから記する六章は法華経修行の手本・模範となる菩薩の事跡について語られる。薬王菩薩本事品の「本事」とは前世という意。つまり薬王菩薩の前世はどのようなことを行ったかを明らかにするのが本章の意図である。(二十三章のタイトルはサンスクリット言語の直訳では「薬王菩薩の前世の因縁」と訳される)
薬王菩薩は幾度も法華経にその名が登場するが、本章にては布教・弘教・全ての者に「光」(光明・灯・教えとなって不安を取り除く)を与えた菩薩。
宿王華菩薩が釈尊に尋ねる。「薬王菩薩はこの娑婆世界に於いて自在に人々を救うことが出来るが、一体それは何故なのか?」。これに対し釈尊は「遠い昔、日月浄明徳仏という法華経を説く仏に、一切衆生喜見菩薩という弟子が居た。一切衆生喜見菩薩は大変な苦行をして仏道に精進し、相手に応じて相応(ふさわ)しい教えを与える力【現一切色身三昧】を修得した。
『我れ現一切色身三昧を得たる、みなこれ法華経を聞くことを得る力なり。』…これは自分自身の力ではない、それは皆法華経を聞いた力を頂いたのだと解(さと)った。
そこで感謝の意を示し大空に白い蓮華の花や栴檀の良い香りがする香木を降らしたが、満足できず自分自身の身体をもって日月浄明徳仏に供養の誠を捧げようと考えた。香油や香草の油を飲み自分自身の身体を燃やし、その光は八十万憶恒河沙(千二百年)の世界をあまねく照らし、ついに燃え尽きた。
この功徳によって再び日月浄明徳仏の国の王子となって、父の為に法華経の偈文を説き仏への供養を勧めた。幾度も幾度も生まれ仏に仕え法華経を弘める、この行為こそが報恩の証である。※(燃え尽きた両肘は法華経の力で再生した)
このように身をもって供養することを『捨身供養』と言うが、ここで取り正さなければならないことは焼身すると言う行為ではなく、「相手の為に自分の出来るうる事(光明を見出し、教えとなる」行為であり、自らの身体を痛めれば良いということではない。身体を苦しめて世の中を明るくするのではなく、心から仏様に帰依することを【捨身供養】で表し繰り返すということで報恩の誠とされた。