罪なき罪を自らかぶり「新発田藩の窮地」を、たった一人で救った武士。その名は井上久助氏。
初代新発田藩主・溝口伯耆守秀勝(みぞぐち・ほうきのかみ・ひでかつ)に救われたこの命。
御殿様が愛した新発田藩の為に。自らの故郷と新発田藩の誇りにかけて・・・。
「週刊ビジュアル江戸三百藩」69号
(株式会社ハーパーコリンズ・ジャパン)
井上久助が時空を超えて全国紙に載りました!
新発田藩から全国へ飛び出した井上久助!
ことの発端は、平成28年11月16日の新聞「新潟日報」に取り上げて頂いた日の晩のこと。「週刊ビジュアル江戸三百藩」の編集者から連絡があり、新発田藩の『井上久助』についてお聞きしたいと依頼がありました。
新発田藩の窮地を自らの命と引き換えに、たった一人で救った井上久助。
の筈が、「本音と建前」・(会津藩と新発田藩の力関係)で、残念ながら罪人として処理せざるをおえなかった当時の新発田藩。
いつまた会津藩が吹っかけて来るか分からないと、偽りの歴史をつづり「それがそのまま歴史の資料に記され」現在の私達に伝わってしまいました。
罪人は新発田藩に入れることも出来ないと。地元にも戻れず現在の秋葉区東島の妙蓮寺に埋葬された、新発田市の図書館にある「新発田藩史料」に掲載されています。
残念ながら、当時を知らない現代の私達にすれば「罪人としての井上久助」と認識するしかありません。
ですが当時の新発田藩民からすればスーパーヒーローの筈。これはおかしな話だと色んな方面から知らべあげた結果、新発田藩の「武士の寺」、当山法華寺に埋葬されていることが分かりました。
そうと解れば、何とか井上久助の汚名を晴らして差し上げたい。歴史研究会の平山康夫先生や語り部、松川美恵子さんなど、皆さんに協力して頂き研修会や講演会を開催しました。
「真実の&本当の井上久助」を知って頂くことが
歴史を変えることだと信じて(#^.^#)
講演を聞いて頂いた後に、参加の皆さんと一緒に
お題目を唱え法華経で御回向させて頂きました。
今400年の時空を超えて井上久助という新発田藩の誇る武士が、全国区へ飛び出し日本国民の皆様に「生き様」を知って頂ける。
新発田藩の烈士井上久助が眠る法華寺を預かる住職としても本当に感慨深いものがあります。
今まで頑張って生き抜いて来られた皆さん「1人ひとりに必ず」ドラマあります。
いま生かされたこの命「この瞬間」を精一杯生き抜く精神の法華経を、井上久助と共にすべての方々に伝わって欲しいと感じ願うばかりです。
ご協力を頂きました先生方や法華寺の役員の皆さま。本当にありがとうございます。
暖かくなる季節には井上久助さんの墓前で祝杯をあげましょう(#^.^#)