あの松の見える山に法華の寺を建てよ

井上久助の報恩法要と講演(予告)

世間は3連休だそうですね♪休日を利用して遊びに行くのも大切ですが、せっかくなら偉人を偲んで有意義に人生の学びをしませんか!?
 明後日10月10日(月・祝日)法華寺では、午後2時から新発田が誇る「烈士井上久助」氏の358回目の祥月ご命日、講演会と報恩追善法要を行います。
 新発田初代藩主「溝口伯耆の守秀勝公(みぞぐちほうきのかみひでかつ)」に井上家が救われ、その御殿様が愛した新発田藩の窮地を、時を超え今度は井上久助が『伯耆の守より賜ったこの御恩。今ここでお返し申し上げる。」と自らの命と引き換えに新発田藩を救った烈士なのです。
今回も「語り部」の松川美恵子さんに語って頂きます
残念ながら「新発田藩史料」には・・・
『塩止め事』の罪なき罪を新発田藩の代表として自ら装い、「偽りの罪人」とになった井上久助。首を切られた後、ご遺体は新発田藩には入れることが許されず旧新津市(現在秋葉区東島)の妙蓮寺に葬ったとあります。
罪人には戒名も墓をも建てられないと妙法蓮華経と書かれた五輪の塔を建てて供養され(中略)と記載。これは本音と建前で会津藩への「建前」が、いつの間にか新発田市の真実になってしまったのですね。悲しいことです。
(↑烈士井上久助の本当のお墓↑)

過去帳は公に提示してしまうのは宜しくないので、お見せできませんが(^^;)
法華寺の所蔵の過去帳には「万治二年十月十日・大行院日廣信士」井上助太夫の父と記載があります。
過去帳に嘘を書くことは、まず有り得ないので新発田の罪人ではなくスーパーヒーローとして扱われ、新発田藩の「武士の寺」法華寺に間違いなく埋葬されていたのですね♪
死後268年を経て昭和3年(1928)法華寺に『烈士井上久助氏之碑』として建立されました。

今日は明後日の法要の為に。また個人的に井上久助ファンなので、久助さんの碑をピカピカに磨いて差し上げました(*^^)v
ちょっと擦り過ぎましたでしょうか?黒光りしています(#^.^#)
当時の方が表向きは罪人として処理。しかし、本当は新発田藩民のスーパーヒーローとして「武士の寺」法華寺の本堂の真ん前に、葬って下さった心意気が素晴らしいですね(*´з`)
たぶんどんな方の一生にも、皆にドラマがあるのでしょうが・・・
何としてでも井上久助を新発田市民の常識に、日の当たる所へ出して差し上げたい一心です!
皆さん。特に新発田にお住いの皆さん。ぜひ皆で一緒に井上久助の心意気と志を学びませんか!?

10月10日(月)体育の日。
午後2時より講演。終了後、碑の前にて法要
会費、お1人300円(お花代・供物代に使わせて頂きます)
  • カテゴリー: 未分類
  • 投稿日: 2016年10月08日
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