3月8日(火)2時半から新潟県東部青年会主催の研修会
『葬儀屋さんから勉強しよう!!!』
「-檀信徒が本音で言えないお寺さんへの思い-」を開催しました。
最近よく耳にする寺離れ・墓離れ・葬式離れの所謂三離れが嘆かれる中
私たち僧侶はどの様に理解し行動をしているのか?
いったい何が原因なのか?
その何かを真剣に求め補う為に努力をしているか?
と、問われると些か心配な面もあるのではないでしょうか。
信心の厚い檀信徒もいれば、そうではなく寺院との付き合いや会話すら成り立たない方も居られます。
私たち僧侶は今この時代に「一体何を檀信徒に伝えればよいのか?」を今一度考える良い機会と実りある研修会の場になれるよう計画しました。
まずは良いお導きを得られるように本堂で法未言上
ご参加の各聖に研修会の趣旨と意図を説明して
さっそく講義の開始です♪
今回の講師は法華寺の檀家総代であり葬祭業を営む、井上学師をお招きし忌憚のない・遠慮しないで率直な意見を述べていただきました。
井上講師の生い立ちから始まり、地元に帰ってきて初めて親の葬儀を出した時に感じた「隣近所の人達の葬儀のお手伝いの姿勢」や昔ながらの「葬儀委員長」の存在・・・。
沢山の方に助けて頂いた上に、何やら訳の解らぬまま「あっ」という間に親の葬儀が終わってしまったこと。
以上を含めて「自分は何を人の為に施せるのか?」と真剣に考え葬祭業の道に進まれたそうです。
「僧侶」や「葬儀屋さん」とお聞きすると皆さんどのような印象を持たれるでしょう?
皆さんが「その時に」真摯に対応して下さり、遺族(皆さん)の気持ちになって下さる人もいれば・・・
そうでもないと感じる方もいるでしょう。
お坊さんでも自営業の方でも公務員でも、このブログを読んでる皆さんも・・・
良い人もいれば、そうでもない人も居られる筈です。
まずは己の「足元を省みることのできる自分」を考え、反省してから以下の分をお読みください。
井上講師は「それではダメなんだ!」とおっしゃられます。
葬祭に携わる者(僧侶・葬儀屋・遺族)が一番大切にしなければならないのは「亡くなられた方の気持」を考えられなければならない。
当たり前のようでも実は当たり前ではない話なのです。
悲しみにふけるだけでなく、愛する人の為に「自分が何をしてあげれるのか?」
相手に求めるのではなく、自分は何ができるのか?
それを考えた上で「出来ないことはそれぞれの分野のプロに自分の意思をしっかりと伝え」お願いをすれば良い。
私たち僧侶も葬儀屋さんも「プライド」と言うか「プロ魂」を持っています。
日頃からその方たちとコミニケーション・気持ちをつなぐことの大切さが、いざその時の遺族の方が、僧侶を信じてお願いする姿勢になるのでは?またはそうあるべきでないのか?
「愛する人の死」を目の前にしていつもの自分ではいれないかも知れません。
私たち全員が、普段から自分という人間の性格を研究して「その時に備える」ということも必要になるでしょう。
難しい話になりそうですが、自分の最期を真剣に考え、どう備えるか?が必要であるとともに僧侶も檀信徒も真剣に日頃の付き合い「ほんの少しのこと」を大切にできるかでお互いの印象も変わってくるのでしょう。と言うのがまとめです。
私たち僧侶は昔の「お寺はこうあるべき‼」という目に見えぬ敷居を無くす努力が必要でしょうし、檀信徒の皆さんも、その時だけ力を貸してくれるお寺さんではなく、日常の生活の心の中に「お寺」という自分の心を磨く大切な場所という認識も取り入れなくてはならないのでしょう!
では僧侶からやるのか檀信徒から歩み寄るのか?そんなことはどっちでもよいのです!
どちらかが動き出せば必ず現状が変わることを信じて(#^.^#)
まずは我々僧侶から変わった方が良いのではないかと思える、実りある良い研修会になりました。
講師先生からのお土産。津川のかりんとう饅頭
ガリガリして美味しかったぁ(^^)/
井上講師を交えての懇親会♪
じつはこっちの方が青年僧が一人ひとり声を大にして活発な意見が飛び交い、熱い話で盛り上がりました。井上講師。沢山のご意見ありがとうございました。(*^▽^*)