佐渡遠流750年報恩行脚(2日目)
報恩行脚2日目。朝9時に昨日の到着地御梅堂を出発!今日の目的地は塚原の三昧堂がある根本寺さま迄の14キロ。説明では「道路が舗装され平坦な道」と聞いていましたが、今日も山道を登ります( ゚Д゚)山越谷超えのどかな風景(*´з`)予定より早い12時に塚原に到着。竹中貫主様から佐渡のお祖師様の生活やご心境をお話しいただきました。『10月28日佐渡國へ著ぬ11月1日に六郎左ェ門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のように死人を捨る所に一間四面なる堂の佛をなし、上は板間あわず四壁はあばらにして雪ふりつもりて消える事なし、かかる所に所持し奉る釋迦佛をたてまいらせ敷物なければ、敷皮打ちしき蓑うち着て夜をあかし日をくらす。夜は雪雹ひまなし、昼は日の光もささせ給わず心細かるべき住居なり。』11月1日に塚原と言う町の火葬場(葬る所・亡くなられた方が集まる所)に一軒四面のお堂があるが中にお祀りする仏様も居ない。屋根の天井が合わず雪が入って来ては中に積もってしまう状況だ。私が懐に収めていたお釈迦様の仏像をお祀りしようと思うが飾る敷物もない。皮を伸ばした蓑を着て寒さを偲んでいるが夜になると雪や雷が鳴り響き、昼はお日様がさすことなく心細い住まいです。そんな中、日蓮聖人を心配してお弟子さん達数名がお供をしますが「日蓮聖人は早く戻る様に」と説得します。お弟子さん達も「お師匠様をこんな住まいに置いていく訳にはいかず」住居の修理を行いますが、お師匠様の言いつけを守り泣く泣く帰郷するのです。お弟子さん達の身を案じて、せめてものお師匠様(日蓮聖人)の御取り計らいのお言葉。日蓮聖人もお弟子さん達も「お互いの気持ち」を察しての事でしょうが…「弟子の身を案じ帰らせる師匠」・「お師匠様を一人置き去りにしなければならないお弟子さん達」。自分の身になって考えると切ない話です(-_-)
明くる年(文永9年の2月)御生涯中の形見とも言われた『開目鈔』をしたためられ、お釈迦様の予言にある「本化上行菩薩とはこの日蓮なり」と、御自身の本地を開顕され、【我れ日本の柱とならん・我れ日本の眼目とならん・我れ日本の大船とならん】と三大誓願をとげられます。この度の報恩行脚は文献で調べるのも大切なことですが実際に歩かれたであろう道を歩き、その都度その場所においてお話を頂き、デェスクワークでは到底感じられない雰囲気を体感することが出来ました。檀信徒を連れて「山越え行脚」は難しいですが、自分がやってみて・体験し・感動したことを説明するのには本当に有難い機会を頂きました(#^^#)
今度は檀信徒を引率して、この感動を伝えるべく佐渡にお参りに来ようと思います♪