あの松の見える山に法華の寺を建てよ

千葉慶讃団参㏌法華寺②

次なる目的地は鴨川市🌊🐬日蓮聖人が出家得度された清澄寺🏠聖人32歳。建長5年4月28日早朝⏰清澄山旭森山頂に立ち「太平洋の暁闇を突きやぶり大地を照らす朝日に向かい」お題目南無妙法蓮華経を唱え🎤『立教開宗』を宣言された聖地なのです💡と説明したかったのですが💔(;^^)清澄に着いたのが18:30(‘ω’)ノ実は2時間遅れ(/ω\)お外は暗闇☆彡山務員さんが『温かい物を召し上がって頂きたい🍱』と待って居て下さって💗さっそく夕飯を頂きます🍚修行施設なのでアルコールはありません🚫🍶
っと思いきや✨旅の疲れを癒す為「ほんの少しだけ🍶」(‘ω’)ノ
上から「清浄なテーブル◎」次は「少しのグループ△」最後は「飲んだくれグループ×」💦明くる日の朝6時⏰土砂降り☔(‘ω’)ノ最近の天気予報はよく当たる🏹💔(/ω\)

【大本山清澄寺の縁起】…千光山清澄寺はおよそ1200年の昔”不思議法師”と名付けられた僧侶が千光を発する柏の木で虚空蔵菩薩の仏像を彫り「その仏像の前で21日間修行をした」ことに始まりました。承和3年(836)天台宗比叡山延暦寺の中興の「祖慈覚大師円仁師」がこの地を訪れ、その仏像の前で同じく21日間の修行をしました。それ以来、清澄は「天台宗の寺院」となり次第に栄えていきます✨ところが、室町~江戸期には度重なる火災🔥と戦により衰退と復興を繰り返します🔧

大正期に入り日蓮聖人の銅像が完成したことで沢山の日蓮宗信者さんが増え「真言宗智山派」と「日蓮宗との間で改宗の話し合い」がもたれたそうです。そして昭和24年、清澄寺は日蓮宗に改宗し現在に至ります。

日蓮聖人、貞応元年(1222年)2月16日📅安房国東条郷「現在の千葉県鴨川市小湊」でお生まれになられ【善日麿・ぜんにちまろ】と命名されました。天福元年(1233)日蓮聖人12歳の時に生家近くの清澄寺にのぼり「師匠様・道善房」に付き得度【薬王丸・やくおうまる】と改名。16歳で正式に出家得度し【是聖房蓮長・ぜしょうぼうれんちょう】と号されました。若き日の日蓮聖人(是聖房蓮長)は清澄寺にて御本尊の虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となしたまえ」と祈願されて以来、鎌倉・比叡山・高野山などを遊学し、ひたすら勉学に励まれたのです。諸経・諸宗の教学を学んでいく中で『法華経こそが末法の世のすべての人々を救うことのできる唯一の経典』であることを確信され、十有余年にわたる遊学を終えて⏰恩師道善房の住する清澄寺に戻った日蓮聖人。建長5年(1253)4月28日の早朝、清澄山の旭森山頂に立ち太平洋から登る朝日に向かって声高らかにお題目を唱え「立教開宗の宣言」をされました。このとき名を是聖房蓮長より【日蓮】と改められたのです。

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  • 投稿日: 2023年10月17日
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