お釈迦様の涅槃図から察すること💗
今日2月10日は「日蓮宗大荒行堂」で修行された荒行僧が修行を終え結界が開かれる成満日(^^)/どんな思いで家族と別れ「生きるか死ぬか?」の修行に入り読経三昧されたのでしょうか?自分の経験と重ねながら、お釈迦様の涅槃図を垣間見てみました(/ω\)
お釈迦様は8年の歳月をかけ一切衆生(人々)に「この世の仕組み」を説かれました🎤
「方便して涅槃を現ず」と如来壽量品(自我偈)で解き明かされます。「涅槃」とはお釈迦様の入滅のことです。又「方便」とは『人々を教え導くための手段』。お釈迦様が言葉巧みな方法・手段を以てその気にさせること。つまり「方便して涅槃を現ず」とは、お釈迦様が80歳で入滅することで「実は人々を導く為の仮の手段&巧みな手段であった」ということ。
お釈迦様が「自らの入滅を示す」ことで、なんで私達が成長する為の最適な導きになるのか?それは「心の依り所の喪失」。私達にとって心の依り所は、愛する家族であったり恋人であったりetc 。大切な人を亡くすことで「もう会えない」という感情がほとばしり「それでも何とかして逢いたい」と願い、それに向かって精進する。つまり深刻な体験こそが、切ないけれど私達にとって心の開花・本来の自分を発見し実践するチャンスに繋がる。。。
お釈迦さま(親)が居ることによって私達は安心する。もっと言えば「いつの間にか?親(仏)は居て当たり前💡」とまで思ってしまいます。ですが夢か幻か!?大切な人を失う💔ことにより目が覚めるものです。
「心の拠り所」を失うことで、傷つき・落ち込み・絶望を感じ、そして乗り越える為の努力(精進)をする( `ー´)ノ
「懈怠心(怠け心)」から脱却する為に試練を与え、そして本来の仏眼(仏の智慧・悟り・原因と結果・その報い)を気付かせ、働きかける為に涅槃を現じたとされています。《あとは割愛》
少し落ち着いて考えてみよう💗目の前の自分を発見すること。足元を省みること。お寺にお参りして気付くこと。←本当に大切なことですね!