佐渡の報恩行脚を終えて盛運祈願祭の為に戻ってきました♪佐渡期における宗祖の御気持。色々な「学び」「気付き」「感動」を頂戴した代償に物凄い身体の筋肉痛(*_*;佐渡も寒かったけど新発田も寒いなぁ(;^^)境内の木々も紅葉してます。今朝は13.4℃
毎月1日の朝7時からは法華寺の盛運祈願祭♪先月の無事に感謝と御礼を。今月の盛運も一緒にお願いします(#^人^#)清々しいお寺の雰囲気を肌で感じ、お題目を唱えて皆の幸せを祈念しよう!『ドンドン良くなる法華の太鼓♪』みんなでお唱えすると気分も高揚します(*´з`)読経・唱題・御祈祷・法話と続き、位牌堂にて御回向を…。今朝も皆様お疲れさまでした(#^^#)御修行で「有難い功徳」を頂いたら今度は茶話会でホッコリしましょう!
報恩行脚2日目。朝9時に昨日の到着地御梅堂を出発!今日の目的地は塚原の三昧堂がある根本寺さま迄の14キロ。説明では「道路が舗装され平坦な道」と聞いていましたが、今日も山道を登ります( ゚Д゚)山越谷超えのどかな風景(*´з`)予定より早い12時に塚原に到着。竹中貫主様から佐渡のお祖師様の生活やご心境をお話しいただきました。『10月28日佐渡國へ著ぬ11月1日に六郎左ェ門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のように死人を捨る所に一間四面なる堂の佛をなし、上は板間あわず四壁はあばらにして雪ふりつもりて消える事なし、かかる所に所持し奉る釋迦佛をたてまいらせ敷物なければ、敷皮打ちしき蓑うち着て夜をあかし日をくらす。夜は雪雹ひまなし、昼は日の光もささせ給わず心細かるべき住居なり。』11月1日に塚原と言う町の火葬場(葬る所・亡くなられた方が集まる所)に一軒四面のお堂があるが中にお祀りする仏様も居ない。屋根の天井が合わず雪が入って来ては中に積もってしまう状況だ。私が懐に収めていたお釈迦様の仏像をお祀りしようと思うが飾る敷物もない。皮を伸ばした蓑を着て寒さを偲んでいるが夜になると雪や雷が鳴り響き、昼はお日様がさすことなく心細い住まいです。そんな中、日蓮聖人を心配してお弟子さん達数名がお供をしますが「日蓮聖人は早く戻る様に」と説得します。お弟子さん達も「お師匠様をこんな住まいに置いていく訳にはいかず」住居の修理を行いますが、お師匠様の言いつけを守り泣く泣く帰郷するのです。お弟子さん達の身を案じて、せめてものお師匠様(日蓮聖人)の御取り計らいのお言葉。日蓮聖人もお弟子さん達も「お互いの気持ち」を察しての事でしょうが…「弟子の身を案じ帰らせる師匠」・「お師匠様を一人置き去りにしなければならないお弟子さん達」。自分の身になって考えると切ない話です(-_-)
明くる年(文永9年の2月)御生涯中の形見とも言われた『開目鈔』をしたためられ、お釈迦様の予言にある「本化上行菩薩とはこの日蓮なり」と、御自身の本地を開顕され、【我れ日本の柱とならん・我れ日本の眼目とならん・我れ日本の大船とならん】と三大誓願をとげられます。この度の報恩行脚は文献で調べるのも大切なことですが実際に歩かれたであろう道を歩き、その都度その場所においてお話を頂き、デェスクワークでは到底感じられない雰囲気を体感することが出来ました。檀信徒を連れて「山越え行脚」は難しいですが、自分がやってみて・体験し・感動したことを説明するのには本当に有難い機会を頂きました(#^^#)
今度は檀信徒を引率して、この感動を伝えるべく佐渡にお参りに来ようと思います♪
今から750年前の文永8年10月21日のこと。寺泊の津(船着き場)に到着された日蓮聖人。
日蓮聖人は6日間、海上の天気が良くなるまで、この寺泊に逗留されました。『これより大海を亘って佐渡の国に至らんと欲するに順風定まらず、その期を知らず』(いよいよ日本海の大海原を渡って佐渡へ向かおうとしているが順風が定まらず、いつ渡れるか見当がつかない)と示されます。この日も大荒れで大型船のフェリーでも具合が悪くなる程の波。750年前に日蓮聖人はどんな思いで佐渡に渡られたのでしょう?そして日蓮聖人が佐渡の地に着岸された文永8年10月28日。現在の松ケ崎。この地に着岸されたことから「法華岩」と伝承されるそうな!岩の上には伝承を伝える供養塔が建立されています。10月30~31日はこの地から塚原の三昧堂まで2日間の日程で30キロの唱題行脚。法華岩から徒歩30分。当時の信徒が日蓮聖人を偲び、この地に「法華堂」を建ててお題目の修行に励まれました。法華堂を後にして、残念ながら日蓮聖人の足跡が明確に記されておらず約100年後の世阿弥が通ったと記される道並みを進みます。笹取峠を通り紅葉山公園がある男神山・女神山を横に唱題行脚。けっこう登った所でお昼休憩。佐渡の「おけさ柿」甘くて美味しい(*´ω`*)標高は400~450mらしいですが海抜0mから登っているので結構身体にきます(;^^)10時から出発し第1日目の目的地畑野地区小倉の『御梅堂』に15時到着。道のりは約16キロ。文永8年(1271)に佐渡に渡られた日蓮聖人が小倉越えの道中で休んでいると…翁が渡海の無事を祝う酒肴に藤の実を供し、その実を蒔いたところ、いつしか現在の藤と梅の木に育ったと伝わる。(詳しくはお調べください(;^^))高祖手植えの梅の樹と書いてありますね♪
今日の道のり(#^^#)日々の運動不足を痛烈に感じます。この後、新潟の東西青年会の有志で「観心本尊抄」と「佐渡始顕大曼荼羅御本尊」を図顕された
妙照寺さまで報恩の唱題行。お宿に到着する頃には、もう真っ暗(゚Д゚;)