あの松の見える山に法華の寺を建てよ

令和元年8月の法華経講義

順番があべこべになってしまいましたが(;^^)毎月19日は法華寺の「七面大明神」さまの御縁日♪それに合わせ午前11時からは「報恩読誦会」午後6時半からはお経の内容を紐解く「法華経講義」の開催です!『常不軽菩薩品第二十』(3回目)…。釈尊滅後の法華経受持、弘教の難しさを再三説いてきた。それは「真実の教えは時代と共に正しく伝わらなくなり、悟っても居ないのに「自分は悟っている」と自惚(うぬぼ)れる」人々が法華経を信仰する者を迫害を加えてくる。そこで釈尊は「得大勢菩薩」→(別名・勢至菩薩)に遥か遠い昔話をするのである。『昔、威音王仏と言う仏が表れ沢山の衆生を教化した。やがて威音王仏が入滅した折、しばらくの間は、その教えや修行は正しいく伝わった(正法) 今度は、教えや修行の像(かたち)だけとなり本質が乱れていく時代を(像法)と言い、像法時代には増上慢と言われる驕り高ぶった出家者たちが多くなっていく。

その時代に皆から「常不軽」と呼ばれる一人の菩薩が居た。常不軽菩薩はお経を読むなどの修行はせずに、ただ出会う人々に対し、また遠くにいる人を見つけてはそこへ行き「我深敬汝等・不敢軽慢・所以者何・汝等皆行菩薩道・当得作仏」→『われ深く汝等を敬う、あえて軽慢せず。ゆえはいかん、汝等みな菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし』(私は深くあなた方を敬います。決して軽んじることはありません。何故ならば、あなた方はこれから菩薩の修行をして必ずや仏に成られる方々なのですから)と唱え「但行礼拝」を行った。しかし居合わせた人々は自分を馬鹿にされたと考え腹を立てるばかり。話を聞きもせず罵り、中には杖で叩き石を投げる者まで現れた。しかし常不軽菩薩は、少しも腹を立てず、逆らうことなく一旦は遠くへ逃げては、大声で再び「あなた方は必ず仏に成られます。」と唱えるのである。

高慢な人々は常不軽菩薩を馬鹿にし、人を常に軽んじない態度を皮肉にを込め「常不軽」とあだ名をつけるのであった。常不軽菩薩は増上慢の迫害を耐え忍び、永きに渡り但行礼拝を続け、そして寿命が尽きようとした時に、空からかつての威音王仏が説いた法華経が聞こえ、常不軽菩薩は悉くこれを受持し、たちまちに六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が清浄になった。そして二百万億那由他歳もの寿命を得て、法華経を多くの人々に弘められた。すると常不軽菩薩を馬鹿にしていた増上慢も「大いなる力を得た常不軽菩薩を見て」法華経の説法を拝受し仏となっていった。数えきれない程の人々を教化し、やがて寿命が尽きてからも日月燈明仏や雲自在燈王仏と言った仏に使え法華経を弘めて行った。

釈尊は得大勢菩薩に「この常不軽菩薩は過去の私の修行の姿だと明かす。もしも過去世に於いて受持・読誦し他人の為に教えを説かなかったのならば、このように早く悟りを得ることはなかっただろう。」なんと釈尊の過去世の姿は常不軽菩薩だった。「但行礼拝」は迫害を受けても相手に悪意や怒りの心を抱かず、礼拝を繰り返すことで「あなたは必ず仏に成る」と気付かせ仏道に導きたいと懸命に祈る行だったのだ。続いて常不軽菩薩に迫害を企てた人々のことを語った。常不軽菩薩の礼拝を罵ったり杖で叩いたり石を投げつけたり軽蔑した増上慢は二百億劫と言う永きに渡り、仏(法華経)の教えには会えずに千劫の間、阿鼻地獄で苦しんだ後に、再び常不軽菩薩の教化を受けることが出来るのだと。得大勢菩薩よ心して聞け。「常不軽菩薩を軽んじ迫害を加えた者は今ここにいる大勢の菩薩や弟子・信者達。即ちあなた達なのだ。」過去世に於いて常不軽菩薩に迫害した人々が常不軽菩薩の説く「あなたは必ず仏に成れる」という言葉を聞いたご縁によって、今ここで釈尊に会えていること。教えに出会い、心に揺るがない素晴らしい者となることが出来たのである。この法華経は、すべての菩薩に大きな功徳を譲り与え悟りの境地へ至らしめる。だからこそ釈尊滅後の後、法華経を決して疑うことなく常に受持・読誦・解説・書写すればどのような世界があったとしても必ず仏となることが出来る。自分の心の中の仏を見つめ周囲の人々の中の仏を敬う。常不軽菩薩の「但行礼拝」は昔の修行法ではなく現在の私たちの修行法なのである。お釈迦様が亡き後も法華経とのご縁を頂いて、「必ず仏となれる。」皆がそれに気づくことこそ常不軽菩薩とお釈迦様の願いであった。私達が気づくこと。《長いのでこの辺で(^^)/》
来月9月19日は七面大明神様の正当の御縁日♪次回は「如来神力品」に入ります!

  • カテゴリー: 未分類
  • 投稿日: 2019年08月20日
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