あの松の見える山に法華の寺を建てよ

新発田を救った偉人 井上久助さんのご紹介

自らの命と引き換えに、たった1人で新発田藩を救った烈士
新発田を愛し、恩に報いる「侍の魂」を持つ 井上久助さん。
井上久助さんの御命日が「万治(まんじ)3年(1660)」10月10日。
今年で354年を迎えます
ことの発端は、会津藩と新発田藩の間で勃発してしまった
『塩止め事件(しおどめじけん)』 「万治元年(1658)」

海が近い新発田藩は会津藩に塩を送り、良質な塩が取れなかった会津藩は、新発田藩にロウソクを送って両藩の商人はお互いを助けあう仲

ですが、ある時から会津藩の商人からロウソクが届かなくなり・・・
(話によると会津でも塩が取れるようになり、わざわざ山を越えて塩を運ばなくても良くなったとの事)
お互いの商人どうしの「やり取りが無くなった」その時の事でした。

今度は商人の間ではなく「会津藩」から直々に書状が届き『塩は戦の備え、新発田藩の行為は会津藩に対する敵対とみなす』

とは言っても、それらの問題は会津と新発田の商人同士の話で「会津藩」と「新発田藩」いわば「藩」の問題ではなく「商人」の話・・・

会津藩は徳川将軍の血筋で23万石の大藩いっぽう新発田藩は6万石の外様大名
とてもとても新発田藩が正論を言っても、かなう相手ではございません。

井上久助さんは、自らの父である「八左衛門正実」さんの代から新発田藩初代藩主『溝口伯耆守秀勝公(みぞぐちほうきのかみひでかつ)』の功臣として使え、久助5歳の時に病に倒れてしまいます。
秀勝公はこれを心の底からなげき痛み、まだ幼かった井上久助に跡目を継がせ一族郎党すべて面倒を見てくださった溝口秀勝公に井上久助は恩義を忘れなかったのでしょう。

井上久助さんは恩義ある藩主秀勝公の為に、新発田藩の為に、愛する家族の為に・・・
「罪なき罪を」自らかぶることによって新発田藩を救ったのでした。

お経の中に「知恩報恩(ちおんほうおん)」「恩を知り、恩に報いる」誇りある「烈士井上久助」さん。

努力する事が、あたかも愚かであるかのように考えられてしまう今の世の中に、この井上久助さんの尊く光り輝く勇志「恩義」は後世の私達の心に響くものを感じます。新発田に住む私達が特に、忘れてはならない事柄です。

今までは法華寺の檀信徒の間でご供養をさせて頂いたり
地元中学校など「新発田の歴史を訪ねる」巡研などで、そのつど説明しておりましたが・・・
本年から新たなる試み興し、井上久助さんを知らなくなってしまった私たちの世代、新発田市民に「新発田の侍魂」を呼び起こすが如くに講演会とご供養の法要を営みたいと思います。

興味のある方、お参りしたい方、どうぞ御参加いただいて後世に継承していきましょう(^^)v

「日時」 平成26年10月10日  午後2時より
「会場」 法華寺「井上久助」さんの碑の前で法要
「講演」 法要終了後、本堂でイスに座ってお聞きします
「講師」 前[市文化財産審議会委員長] 平山晴夫氏を講師に迎えます
「会費」 500円 新発田のお菓子屋さん中村屋特製 井上久助の「潔白饅頭」を食べお茶を飲みましょう
[定員」 50名 申込は法華寺 ℡0254-22-2981 住職 本田義昌まで
     

  • カテゴリー: 未分類
  • 投稿日: 2014年08月29日
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