第3回御遺文奉読会🎤その②
妙宣寺様の御宝前に一読させて頂いてから🎤いよいよ御遺文奉読会の開催です(#^^#)
如来滅後五五百歳始観心本尊抄《選述の意図》
日蓮聖人は「末法」という正しい仏法が見失われてしまう時代に於いて、私達が拠り所とすべき真実の仏法は法華経にあると主張され、その教えを弘通する為に度重なる法難を体験されました。ところが法難が厳しくなるにつれ日蓮聖人の弟子や信徒の中にも懐疑的( ある事柄に対して疑う傾向・疑いをもって物事に接する)になった人達もいたようです。ましてや「生きては帰れないと」言われる北国寒山佐渡島の流罪。日蓮聖人はどの様な教えを門下に残されたのでしょう?
『開目抄』には法華経の真の弘通者には諸天の守護があると説かれているのに、それが明確でない所に疑問が提起され、この問題について日蓮聖人は「末法の法華経の行者」には「未来記」の通り法難を忍受することによって教法の真実性を証明する責任があり、それを果たすことが出来た法悦と仏の使い→「仏使の自覚」を表明されました。
『観心本尊抄』では、さらに法華経による宗教的救いの世界を述べる為に、天台教学の真髄である「一念三千」の法門を注釈する立場で示され、天台教学には教義理論によって仏の悟りの世界に導こうとする「教相門」と、修行によって仏の悟りを実践的に体験しようとする「観心門」があります。
この2つの門を車の車輪の両輪のように兼ね備える所に最大の特徴があるのです。
天台三大部のうち『法華玄義』と『法華文句』には主として教相門、『摩訶止観』には観心門が説かれますが、このうち『摩訶止観』においては天台大師、御自身が実践的に体得した最も重要な法門として説示されるのが「一念三千」となります。
日蓮聖人は佐渡配流の途上、越後の寺泊から富木常忍氏へと送られた書簡『寺泊御書』には、日蓮聖人に対する非難の中、ただ教相門ばかりを論じて観心門に触れていないと言う指摘があったと記されています。『観心本尊抄』は、こうした疑問に答える為に天台大師の一念三千の法門について注釈するという形式を取りながらも、日蓮聖人独自の信仰的内面の世界を明らかにされたのでした。しかも釈尊御入滅後の歴史において五五百歳の今、末法に入って二百数十年の今に至るまで、明らかにされなかった「観心と本尊の法門を始めて明らかにする」と言うのが題名に込められた意図であったことでしょう。
これより先の内容は、皆さんがお読みになってからのお楽しみ💗