あの松の見える山に法華の寺を建てよ

新発田を救った井上久助さん

10月9日は新発田藩を救った烈士井上久助氏359回目の御命日です。(正当は今日10日)
 法華寺では何としてでも井上久助を日の目に当たる様に、新発田市民に関心を持って頂けるように♪
 「語り部」、松川美恵子さんを講師に招き 優しくも力強く、井上久助の「生き様」を語って下さいました。
 会場では、まるで映画の中に飛び込んだ様な臨場感に涙する方もいらっしゃいます。
参加の皆さん井上久助をご理解頂けたでしょうか?「そもそも塩止め事件は何故起ったのでしょうか!?」徳川時代に親藩・譜代・外様の3つがあったのですが外様潰しが流行っていたのでしょうね(^^;)
死後267年経って昭和3年に井上久助の為に当山境内に「烈士井上久助氏之碑」が新発田市民の民意で建立されました。
新発田藩を救うために自ら「罪なき罪」をかぶり、罪人となった井上久助。
罪人は新発田藩に入れられないと、もともと井上家が納めていた領地(新津の東島あたり)井上久助のご両親が眠る(妙蓮寺さんの)お墓の前に「妙法蓮華経」と書かれた五輪の塔を建て、そこに埋葬されたと歴史の本には書いてあります。
ですが実際には新発田藩の「武士の寺」、法華寺に埋葬されていました。
会津藩との『本音と建て前』で新津に埋葬したという「建前」を残し、実際には新発田藩の中心地、しかも武士の寺の一等地に埋葬。当時の新発田藩の武士の誠意と、町民の粋な計らいなのでしょう(*^^)v
参加者全員で手を合わせ、宗旨は違えど井上久助の為にお題目で御回向をしました。太鼓を叩ける御信者さんはそれぞれの思いと、感謝を込め一生懸命に御回向します。
358年の時空を超えて現代の新発田市民が井上久助さんに感謝の微志を述べる「親を大切に、先祖を尊び、自分を考える」『現在を知り、過去を察し、未来を作り上げる』本当に大切なことですね♪
法要が終わると、先ずは反省会。続いて荒行関係の打ち合わせ。皆さん本当にお疲れ様でしたm(__)m
  • カテゴリー: 未分類
  • 投稿日: 2017年10月10日
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