あの松の見える山に法華の寺を建てよ

丹羽伯弘(にわはっこう)


(2012年9月3日版)の「広報しばた」に法華寺にお眠る
『丹羽伯弘(にわはっこう)』さんの記事が載っていました。



丹羽伯弘は18世紀後半に活躍された方で
新発田に学問所を作っり、藩主の命により江戸に留学された方です。

宝暦11年(1761)新発田藩8代藩主となった『溝口直養候(みぞぐちなおやす)』の命に従い
文政7年(1824)には「積善堂(せきぜんどう)」を
江戸より帰国後「学半楼(がくはんろう)」などを開きました。

「学問は自己の名声にあらず、先人の智恵を知り、人の道を説くものなり」
と教育の基盤を作られたのも丹羽伯弘です。

またこの頃に新発田藩8代藩主・溝口直養候は学問所のほかに
医学館設立などの命をくだし新発田藩の礎を築いた藩主でもありました。

 
  • カテゴリー: 未分類
  • 投稿日: 2012年09月26日
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