法華寺について
日蓮宗 法華寺
慶長3年(1598)3月の創立。開山慈照院日覚(じしょういんにちかく)。開基檀越坂井式部秀政(だんのつさかいしきぶひでまさ)。奠師法縁(でんしほうえん)。開山は丹波領主大雲寺殿前土佐守の子息で、のち織田信長の家臣坂井秀政の猶子(ゆうし)となり、京都妙顕寺11世日教に従って得度した。加賀の妙海寺に住職したが秀政が溝口秀勝の臣となったので当地に随従し秀政は秀勝の命により一宇を建立し法華寺と号した。当時は境内も広く現今隣接する瑞雲寺・真称寺・蓮昌寺の4カ寺は当山の地を分譲したものという。寛永7年に藩主溝口宣直より1町2反余りの寄進があり寺運も隆昌したが文政11年(1828)4月に祝融の災にかかり全山焼失。8月に庫裡、嘉永7年4月に本堂を再建。160余年の月日が経ち本堂庫裡朽ち改修、平成4年(1992)に当山25世日道により本堂・書院・庫裡を新築。平成20年(2008)山門新築し檀信徒の寺門興隆を祈る。
「法華経」の弘通に命をかけた、日蓮聖人の波瀾の人生をご紹介します。
『聖者の誕生』
日蓮聖人は貞応元年(1222)2月16日に安房国東条郷(あわのくにとうじょうのごう)現在の千葉県は天津小湊町でお生まれになりました。
父「貫名次郎重忠(ぬきなじろうしげただ)」戒名『妙日尊儀(みょうにちそんぎ)』(正嘉二年(1258)二月十四日逝去)、母「梅菊(うめぎく)」戒名「妙蓮尊儀(みょうれんそんぎ)」(文永四年(1267)八月十五日逝去)の元にお生まれになり、母である梅菊は「日天子(にってんじ)」が蓮華の花に乗って梅菊の懐に入る夢を見て懐胎(かいたい)なされ、誕生の折には庭先に清らかな泉が湧きいで海は煌びやかに光だし当り一面、日蓮聖人の御誕生を祝うがごとく沢山の大きな鯛が海面に姿を表し、偉大な聖者の誕生を飾られたそうです。
又、庭先の湧き水をもって産湯(うぶゆ)に使ったという言い伝えが今日までも伝わっております。